事前情報も確かめ、チケットも手に入れ、いよいよ入館です。
でも、展示室へ入る前に… ●大きな荷物はロッカーへ 大きなカバンを背負ったりコートを着たまま鑑賞している人を見かけますが、大きなカバンやコートはロッカーへ預けたほうがいいです。 身辺が軽いほうが気楽に鑑賞できます。長時間鑑賞しても疲れませんし、他の鑑賞者の邪魔にもならず、作品にぶつけて作品を傷める心配もありません。 美術館では作品保護のため温湿度を一定に保っています。冷え症など体質にもよりますが、寒く感じないようでしたら上着も預けたほうがいいです。 ロッカーに空きが無い際には、カウンターに申し出れば預かってくれます(のはずです)。 持参したメモ帳などのグッズも用意し、いよいよ展示室へ入ります。 ●最初の周回は全体を俯瞰 「部屋のレイアウト上、入っていきなりメイン作品が現れる」世田谷美術館のような例外もありますが、多くの美術館・展覧会では、その美術館・展覧会の看板とも言えるメイン作品(クライマックス)は順路の後半、野球で言えば7回あたりの位置に置き、全体として起承転結で盛り上がるように構成されています。 最初の1枚目からじっくりと鑑賞する人もいますが、後半の7回あたりに来ると集中力も途絶えて注意散漫になりがちです。 展示室に入ったら、まずはスライドショーのように作品を俯瞰し、どのような流れて構成されているか、どの辺にクライマックスがあるか、どの作品に惹かれたのか(第一印象でOKです)を、チェックするに留めておきましょう。 展示室の入り口で出品作品リストを配っていることが多いので、鉛筆の借用とあわせ、この作品リストをしっかりと入手し、クライマックスの絵や惹かれた絵に○や印を付けておきます。 ●「名画」はどうやって見つける? もちろん、美術鑑賞は自分の好きな絵だけを鑑賞していればよいものですが、鑑賞に慣れない場合、そもそも「自分の好きな絵」を見つけにくくもあります。 美術作品では、モナリザに代表されるように、多くの人にとって魅力的であり、絵としての完成度も高い「名画」が存在します。 (画像はウィキペディアから) その「名画ぶり」や「完成度の高さ」によって絵の価格も決まりますし、「名画」を鑑賞することは他の絵を観るうえでも大いに参考になります。 「名画の判断基準」は次回に細かく触れますが、「名画」を手っ取り早く見つける方法としては、以下の方法があります。 ① チラシやポスターで採り上げられている絵 ② 音声ガイドで解説されている絵(音声ガイド用の番号が付記されています) ③「他の絵に比べ頑丈な柵が置いてある」など、警備の堅そうな絵 ④ 壁の中心部にある絵 ⑤ 売店を先に覗き、絵葉書のある絵を確かめる ⑤の「売店を先に覗く」ことは、美術館によっては「鑑賞の手引き」を売っているところもあるので、それを読みながら鑑賞することも理解を深める手助けになります。 ●2周目は気になった作品をじっくり鑑賞 2周目は、1周目の鑑賞で気になった作品を中心に、じっくり鑑賞します。 1周目で惹かれたポイントを、2周目の鑑賞で確かめ、その惹かれたポイントをできる限り言語化し、メモしていきます。「名画」であれば、その名画である所以を確かめ、その名画としてのポイントを記しておきます。 この言語化によって、自分自身の印象が深まり鑑賞眼が高まるほか、他の人との感想の共有も可能になります。 また、1周目の鑑賞でチェックを忘れていることもありますので、チェック漏れがないかどうかも確認します。 時間があれば、置いてある図録を観ることも言語化の参考になります。 でも、あくまで自分の言葉で自分の感じたことを言語化するように心がけ、図録は作品の周辺知識を得ておくに留めておきます。 ●3周目は「しばしの別れ」を告げる気持ちで 2周目で終わっても良いのですが、まだ時間があるようなら、もう1回周ります。 2周目で得た感想を、再度確認しながら鑑賞します。このとき、絵とは「しばしの別れ」を告げるような気持ちで名残を惜しみつつ鑑賞すると、絵の印象が後日まで強く残る気がします。 ●できれば人と一緒に鑑賞するほうがいい 絵は1人でも観ることができますが、慣れないうちや難しい絵は、友人や家族、欲を言えば「自分より絵に詳しい人」と観たほうが、鑑賞眼は高まります。 人と絵を観るメリットは、「自分の感想・意見に意見をもらえる」ほか「自分が気付いていない面や知識を教えてもらえる」「話しあうことでお互いに新たな気づきを得られ、より多面的に絵を観ることができる」「“なぜその人がこの絵を好むのか?”を考えることで絵の見方が深まる」など、多くあります。 このページでお正月に「その良さがよく分からない…」と書いた長谷川等伯「松林図屏風」も、師匠と仰ぐ友人と観てきました。 ・右雙 ・左雙 (画像はともにウィキペディアから) 「松林図屏風」を並んで観た師匠の感想は「注文を受けて描いた絵ではなさそうだし、完成感がない。貼り合わせもずらしてあったり、上部が切れていて、完成や価値を目指して描いた絵ではない。下絵のような。水墨画としては良いのかもしれないが、日本美術の代表作とまでは…」というものでした。 私見に同意してもらえ、素直に嬉しかったです。 一方、「余計なものが描かれていない良さがある。色彩がないからこそ、広く奥へと広がる世界に迷い込める感じもある。遠目で見ると、木と木の間の空気がいい。目には見えない大気の気配や動きを描こうとしたのか。、安土桃山時代から江戸時代初期にこれほど叙情的に描くとは驚愕。息子を亡くした直後の空虚感か描かせたのか。モネのルーアン大聖堂の、ぼやぼやっと立ち上るような空気を思い出す」との感想には「等伯からモネとは、さすが師匠」と唸らされました。 (画像はウィキペディアから) ちなみに、人と鑑賞するときは、鑑賞前に必ず「一番印象に残った絵を教えて」とお願いします。鑑賞後に食事や喫茶でこの感想を話し合うことで、絵の面白さを知り、ひいてはその人自身を知ることができます。 こういうさまざまな感想を共有しあえることが、絵を観る一番の醍醐味、ひいては人生の大きな充実感へと連なるのではないでしょうか。 (④へ続く)
by zouchan6
| 2016-02-09 05:49
| 美術鑑賞 art watching
|
Comments(7)
絵の見方について、興味深く拝見しました。絵の見方というのは、決まりはないので、なるほど・・・おもしろいなと思ったものをコレクションしていました(笑)
こちらも、収録させてていただきましたが、よろしいでしょか? 「絵を見る時に自己流に陥らないように」と書かれていたのですが、自己流で見てもいいのではないかなと私は思い初めているところです。人とは違う自己流の見方が、これまでになかった新しい着眼点の発見になったり、物の見方を創造できるのではないかなと思っているのですが・・・ 最近は、できるだけ予習をせず、どこまで見ることができるのかという見方も初めているところです。
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zouchan6 at 2016-04-06 16:47
コロコロ様
返信大変遅くなりましたが、コメントありがとうございます。 ご収録、拝見しました。ご紹介いただき、ありがとうございました。本件承知しました。こちらこそ、よろしくお願いします。 「自己流」につきまして、絵の鑑賞はどのように観ても自己流から完全には脱せないと思います。 人と絵を観る場合には、同行の人と対話をすることで新たな(止揚的な)気づきを得たりと、絵の見方がより広がると思い、このように記しました。 ご意見を受けて、上記の趣旨が伝わるよう、本文を修正しました。ご指摘ありがとうございました。 予習の是非、美術の鑑賞では美術館で観て「この絵なんとなく好きだな」というきっかけで画家や作品に関心を持ち復習することがあると思います。 そのようなサプライズも楽しく大切なのですが、その場合には「学んだ時にはその作品を観れない」という欠点があります(再訪は可能ですが)。 「予備知識を得ていたほうが絵のテーマや画家の主張などをより深く理解できる」「予習で疑問に感じたり興味を持った点を、実物で確認できる」点が予習のメリットです。 「ニーズ・目的に応じ、予習と復習を行ったり使い分けると効果的ですよ」という趣旨です。 「絵の観方」、近日中にも番外編②(国立西洋美術館・常設展)を投稿する予定です。 私も勉強中の身です。今後もご笑読・ご意見をいただけますよう、引き続きよろしくお願い申し上げます。
これ、懐かしいです。
実は、長谷川等伯のこの「松林図屏風」のよさを感じないのか・・・・と思いながら、 書いていました。 長谷川等伯のこと、知りません。でも、この墨絵はすごい! とネット上の画像でも想像できました 実物を見たらさぞや・・・・ 何がどうすごいのか、言葉ではいえないけど、でもすごい! それは、建仁寺で見たデジタル画像の海北友松の襖絵から、この絵がどういう絵であるかが想像されました。 お師匠さんは、モネのルーアン聖堂を思い浮かべられていた。 私もそれと同じことを感じていました。 そこに気づけているのに、価値を見ないのか・・・・・ >目には見えない海北友松や動きを描こうとした >広く奥へと広がる世界に迷い込める感じ そこに気づいても、心は動かされないんだ・・・・ >貼り合わせもずらしてあったり、上部が切れていて、 ずらしたり、切れているのは、あえてそうしていることに意味があるんじゃないの? 大気の気配のようは、目に見えるか見えないかという空気感。 それが、日本人のメンタリティーに、働きかけているんじゃない? 春草の落葉に、無限の奥行き感を感じとることができる人が、この絵の奥行きの深さを感じないのかぁ・・・・ 春草とは違う無限の広がりがこの絵にはあると思うんだけどな・・・・ それは、建仁寺の襖絵、海北友松で感じた、得も言えない墨というものが持つ表現力の奥深さを デジタル画ながら見て感じることができたから、この絵にもその価値を見ることができるのだと、 思っていました。まだ、その感動を記録したいのに、できていないジレンマがあって・・・ 一部、その襖絵から感じたこと書いたものをリンクに入れました。 デジタル画でも感動したのだから、本人、直筆ならその表現はさぞや・・・・ 本物を見たら、きっと、ゾゾゾ・・・とするだろうという感覚が、 海北友松の絵を見た感覚から想像ができるのでした。 この方たちは、見えるか見えないかの、その微妙な表現力の細部を、 もしかして、見逃してしまったのではないのかとか・・・・(笑) そんなことを考えながら、同じ絵を見てもこうも感じ方って違うんだなぁ・・・って思っていたのでした(笑) (続)
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コロコロ
at 2016-06-05 04:28
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(続)
そして、モネ展を東京、京都と2度見て、わかったのは 私はルーアンのような、霧に包まれたぼんやりとしたはっきりしない絵が好きだということ。 モネが日本人に人気があるのは、わかりやすい風景画だからと言われていますが、 こういう、ぼんやりとした、はっきり描かない部分が、日本人のメンタリティーに合致して、 心をつかんでいると思いました。自分の好みのモネは、霧に包まれている絵。 という認識をしていたため、余計にこの絵に惹かれるのだと理解していました。 リンク先の中の最後にあるデパートの絵、 ああいいな・・・と感じた絵とテイストが似ており、 私はこういう絵が好きなんだとわかった気がします。 いつか本物のこの絵を見て、もう少し等伯のことを理解し、日本画のことがわかれば、 この絵の何がいいのか言葉にできるかな・・・と思っていたところに、 昨日、美の巨人たちで等伯と狩野永徳が取り上げられていました。 子供をなくした悲しみ・・・という意味もわかりましたし、 子供の絵を見た瞬間、すごい! って思いました。 でも何で、等伯の子供の名は知られていないのか・・・ (と思ったら、私は等伯も知らなかったのですが) ああ、亡くなってしまったからなんだ・・・と。 自分が感じていたことが、そこで表現されて、ああ、やっぱり・・・・と思いながら、 この絵、どこにあったんだけ・・・と探して、こんなところにありました(笑)
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zouchan6 at 2016-06-11 22:19
コロコロ様
コメントありがとうございます。 等伯の「松林図屏風」、多分私が「墨が苦手」だからだと思います。 海外で観た洋画から入ったクチなので、日本画が分かるようになったのも実はごく最近(ここ数年)なんです。 絵の中で「色」という要素は非常に大きなものがあると思います。 「色」が無い絵は、どうも「絵」として認識しにくいです。 同じ理由で、デッサンやリトグラフも苦手です。 ただ、「色」以外にも見るべきポイントはあるので、そこは観れるのですが、日本画で、しかも色が無い、となると、理解は出来ても「自分の言葉で語る」には至っていません。 「空気の濃淡が…」「静寂に包まれた一瞬の雰囲気をとらえ…」みたいな適当な美辞麗句を並べて、もっともらしい感想を述べることはできます。 でも、それだけはしたくないんです。 自分の心に嘘をつきたくないんです。 等伯の「松林図屏風」の感想では「七尾の空気を感じる…」「奥深い世界が空白の奥に広がっているような…」とかよく見かけます。描かれている松についてのコメントなら理解できるのですが、描かれていない空白の部分からどうしてそのようなことが分かるのでしょうか? あくまで、鑑賞者が勝手に想像しているに過ぎないのではないでしょうか? 何を書くのも「表現の自由」ではありますが、将来プロを視野に入れる者として、あまり勝手な想像ばかり書けません。友人にメールで語るのではなく、ブログで公に書くのですから、いい加減な認識や知識をもっては書けません。 感想を書くときも「説得力のある感想」を書きたいと思っています。読む人が読めば「なるほど」と理解してもらえるような。 なので、中途半端にしか理解できなかったり感じられないものは「分からない」と正直に言うことにしています。 硬い話ですみません。 でも、逆に、きちんと理解できてきちんとした感想を述べることが出来るようになったら、そういう感想を書きたいと思っています。 その瞬間まで、お待ちいただけませんでしょうか。
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コロコロ
at 2017-02-02 13:00
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松林図屏風、見てきました。第一印象、何だこりゃ? 期待はずれ・・・ zouchan6さんがよくわからないって言ってたのよくわかったわ・・・・(笑) それにしても、実物よりも、写真や映像の方が深みを感じるってどういうこと? 当時は、実際にはまだ、感じてはいないのですが、そういう想像力をかきたてられていました。でも・・・・ じっと、見てると、何度も行ったり来たりしていると、やっぱり、日本人好みのテイストを持った絵なんだな。新たな見るポジションを発見(?)しました。また見え方が変わります。 今、一連のこちらで紹介された松林図にリンクさせていただきながら、印象の変遷をまとめているところです。 今年は、御覧になりましたか?
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zouchan6 at 2017-02-02 23:19
コロコロ様
コメントありがとうございます。 松林図、今年も1月3日に行きました。今年は「描いていない空気、その空気が伝える深い奥行き、力強く繊細な松の筆が秀逸」と実感しました。松の筆の強さは着実に実感できます。でも、奥行きの部分はまだまだですね。そごう美術館で観た春草の「落葉」の奥行きにも思いを馳せながら鑑賞していました。「落葉」の奥行き感をさらに発展させた描写かな、と思いました。 ブログ、拝見しています。リンクでもご紹介いただき、ありがとうございます。生殖のご投稿に圧倒されました! あらためて拝見させていただきます。
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