関西に出かけた折、京都のアートサイトをいくつか訪れてきました。
まずは大徳寺の聚光院(じゅこういん)です。 (自ら撮影) 大徳寺は禅宗五家の1家である臨済宗の1派で、聚光院はその寺院の1つです。戦国大名の三好長慶を祀るために建立されましたが、千利休が参禅したことから利休の墓もあります。 ・千利休の墓所(左。右は三好長慶) (画像は聚光院の絵葉書から) 平素は非公開ですが、創建450周年として今年は特別公開されています。 事前にインターネットで拝観予約を行い、指定した日時に、ガイドさんの解説を聞きながらグループにて拝観する形式です。 受付を済ませ境内に入ると、まずは方丈庭園に通されます。利休の作で、苔庭の奥に一直線上に庭石を置き、石組みの多いことから百積庭と呼ばれています。 (画像は聚光院の絵葉書から) 手荷物を預け、聚光院の説明を受けた後、1部屋ずつ回っていきます。 まずは手前の「礼(らい)の間」から。ここには狩野永徳の父・狩野松栄により描かれた「瀟湘八景の図」が8面に描かれています。 瀟湘八景とは中国湖南省の風光明媚な八景を描いた山水画の伝統的な画題です。漁村夕照(夕焼けに染まるうら寂しい漁村の風景)などあり、雪舟ほか多くの画人に描かれています。 松栄の「瀟湘八景の図」はこの八景をとても穏やかに描いています。松栄の穏やかな筆と瀟湘八景の雄大かつ身近な風景は、来客として落ち着いた気分にさせられます。 「礼の間」の次に拝観したのが、隣にある「室中」の間です。 聚光院の本堂であり、お釈迦様が祀られています。この本堂を飾る障壁画が、今回の特別公開のメインとも言える永徳の「花鳥図」です。 ・右面 (画像はウィキベディアから) ・正面 (画像は聚光院の絵葉書から) ・左面(一部) (画像はウィキベディアから) 6月にホノルルで「老松桜図屏風」を観て、こちらでも紹介した永徳です。 16面に松・竹・梅にオシドリ・セキレイ・丹頂鶴などが行体(文字の行書に同じく続けるように描く形式)で描かれています。 松は枝先・葉先までたわむことなく、強い生命力を誇示するかのようにぴしっと描かれています。セキレイはじめ鳥類も活き活きと描かれ、伸びやかに羽ばたいています。 穏やかで柔和な父・松栄の描き方とは対照的な(エディプス・コンプレックス?)、何かを主張するかのように生気溢れる描き方に、まずは魅入ります。 その松を最大限に大きく描きながらも、横長という部屋の特性を活かした大胆かつ無駄の無い構図は見事で、安定感すら見出せます。「生命力の激しさ」と「安定感」という、一見相反するような心情が並存しています。 正面右のセキレイと右面左のセキレイは対峙するかのように向き合っており、襖絵ながら立体的な空間作りも感じられます。 ちなみに、セキレイには日本書紀に国産みの伝承の1つとして「イザナギとイザナミが性交の仕方が分からなかったところにセキレイが現れ、セキレイが尾を上下に振る動作を見て性交の仕方を知った」という話もあることから(ウィキベディア)、対のセキレイにはそういう含みもあるのでしょうか。 ・セキレイ (画像はウィキベディアから) また、一見大人しそうに見える正面の丹頂鶴は、本尊すぐ脇に描かれ、本尊を崇めるかのように向いています。 (画像はウィキベディアから) 「花鳥図」、普段は京都国立博物館に寄託されていますが、今回は特別公開のために「里帰り」しています。対峙するセキレイの立体感や本尊を崇める鶴、本尊と障壁画と百積庭が織り成す広い空間構成は、博物館では感じ得ないものと思います。「絵は本来あるべき場所で観る」とは、まさにこのことを言います。 また、永徳の絵に限らず、絵には「描かれた目的」があります。「依頼者に頼まれて描いた」場合でも、画家は絵に何らかのメッセージを込めています。 絵は構図、筆遣いなど多角的な観点から分析・評価されますが、最も重要な点は「描かれた目的に合致し、その目的が観る側にも的確に伝わること」かと思います。 禅寺の本堂に飾られる「花鳥図」の目的は「禅の思想を広め、観る側にそれを理解してもらうこと」でしょう。 「花鳥図」は、本尊を引き立て、禅の思想を伝えながら、生命の起承転結を感じさせ「悟り」のような境地に至らせてくれます。 今回の聚光院を観るにあたり、永徳の画業を描いた『花鳥の夢』(山本兼一)という文庫本を新幹線の車内で読んできました(長編につき未だに読んでいます…)。この本の表紙にも「花鳥図」が使われています。 「花鳥図」をはじめ「唐獅子図屏風」「洛中洛外図」などの大作に挑む姿、父親の松栄との確執、ライバルである長谷川等伯への敵愾心、妻との馴れ初めなどを描いた、とても読み応えのある小説です。 ・唐獅子図屏風 (画像はウィキベディアから) ・洛中洛外図(上杉本 右隻) (画像はウィキベディアから) ・洛中洛外図(上杉本 左隻) (画像はウィキベディアから) 惜しむらくは、著者の山本兼一さんが2年前に逝去されていることです。 室中に名残を惜しみつつ進むと「檀那の間」があります。 ここにも永徳の琴棋書画図(きんきしょがず)があります。 (画像は聚光院の絵葉書から) 中国の文化人に必須とされた琴棋書画(琴、囲碁・将棋、書、絵)に取り組む姿を描いています。 琴棋書画図は楷体(文字の楷書に同じく一筆ごとに描く形式)で厳密に描かれています。「花鳥図」とは対照的な面としての人間のあるべき姿を描き、絵を超えた深みを感じます。 次に回ったのは、「衣鉢の間」です。ここの障壁画は狩野松栄作の竹虎遊猿図です。 (画像は聚光院の絵葉書から) 左下に猿の家族、右上にその家族を指さす猿と白い猿がいます。 左下に家族の中でも左側の猿は、どことなくイジケテイルようにも見えます。 ガイドさんによると、このいじけた猿は息子である永徳の才能に嫉妬する絵師の松栄自身、家族の中の白い小猿は息子の永徳、右上の白い猿は松栄の父で永徳が尊敬していた狩野元信ではないかと言われています。 また、左面には虎と豹が描かれていますが、左の虎は眼がどことなくしょんぼりとイジケテイルように見えることから、これも松栄自身なのでしょうか。 (画像は聚光院の絵葉書から) ここまで障壁画を観て感じましたが、絵、とりわけ動物画や植物画は、当時の人にとって「目の前に本物の動物や植物が居るかのような」感覚を強く抱いていたのでは、と察しました。 今でこそ様々なメディアから多様な言葉・イメージが流れてきます。今の私たちは印象派も浮世絵も知っているので、永徳・松栄の作品を目にしても大きな感興を覚えないかもしれません。ところが、そのような知識もメディアもなく文盲率も高くなかった安土桃山時代、希少なメディアである絵画は、言葉・イメージを伝えるうえで大きな役割を果たし、観る側に大きな影響を与えていたのでしょう。 一休さんの「屏風の虎」のエピソードも、今の私たちにとっては「屏風の虎」でしかありませんが、当時の人々には屏風の虎が本物の虎のようにも思えたのでしょう。 古今東西を問わず、絵は、描かれた時代の人の心境に合わせながら観ると、より理解しやすく、より親しみやすく鑑賞できるように思えます。 日本史・世界史の知識が鑑賞で活かされます。 聚光院の話に戻りますと、大書院之間の山水図を見た後は聚光院の茶室である閑隠席と桝床席へ(本堂に同じく重要文化財です)。 茶室の外観です。 (画像は聚光院の絵葉書から) 写真中心の奥(障子の左)に刀置きと小さな躙り口があります。 左の井戸の滑車は陶器です。その重みのせいか屋根に傾斜が付いていますが、より一層の風情を感じさせます。 閑隠席は表千家七世の如心斎が寄進しました。三畳の狭い空間ながら窓の光は最小限に抑えられ、茶事に集中できるよう配慮されています。天井も低く2段に設え、主人の謙虚な姿勢がうかがえます。 (画像は聚光院の絵葉書から) 水屋を隔てて、その隣に桝床席があります。 趣の異なる2つの茶室は、仕切りが外され並べて観ることができます。 特別公開の最後は、2013年に落慶した書院に奉納されている千住博さんの「滝」です。 (自ら撮影) 千住さんは1958年生まれの日本画家で、妹はヴァイオリニストの千住真理子さん、弟は作曲家の千住明さんという家系です。軽井沢に軽井沢千住博美術館もあります。 この部屋、茶席などにて使用されるそうですが、向かって左側は男性の着物が映えるよう青を基調に、向かって右側は女性の着物が映えるよう白を基調に描かれています。 岩絵の具を使用しているため、日本画ながら耐久性は高いようです。 「滝」の想像に加え、白と青の対比する抽象画として観ていました。色が思索へもたらす深い効果・影響を感じます。その「深い思索」は、禅寺として、利休の庭園・茶室や永徳の絵がもたらす精神に一致すると思いました。 永徳の絵が500年近い時を超えてメッセージを伝えてくるように、千住さんのこの絵も遠い後世にメッセージを伝えていくのでしょうか。 そんな思いを感じながら、聚光院を後にしました。 (その2へ続く)
by zouchan6
| 2016-08-16 13:24
| 美術鑑賞 art watching
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