この週末の土曜日、国立西洋美術館でクラーナハ展を鑑賞してきました。
年始の「2016年・気になる展覧会」で最後に紹介した展覧会です。 クラーナハは3月にウィーン美術史美術館で観て以来となります。 ルーカス・クラーナハは、ルネサンス期のドイツで活躍した画家です(1472年~1553年)。 ちなみに、クラーナハが生まれた4年後、京都では狩野元信(狩野永徳の祖父)が生まれています。 ・狩野元信「白衣観音図」 (画像はウィキペディアから) クラーナハは、ウィキペディアによると、当初はアルブレヒト・デューラーらと競いながら、ヴィッテンベルクにある教会の祭壇画を描いていたようです。 ・ヴィッテンベルクの広場 (画像はウィキペディアから) 当地に工房を構え、領主ザクセン選帝侯フリードリヒ3世に御用絵師として仕えました。また、宗教改革で有名なマルチン・ルターの友人でもあったため、彼の肖像画を多く残しています。 ちなみに「ルーカス・クラーナハ」という氏名では同名の親子がいますが、主に父を指します。 展覧会の中から、印象に残った作品と感想を紹介します。 ・ザクセン選帝侯フリードリヒ賢明公 (画像はこちらから) 会場の冒頭に飾られていた絵です。 衣服から高貴で裕福な様子、目線と手から篤い信仰心、茶色を基調にした色合いからの彼の落ち着いた精神が伺えます。 「1515年頃」というクラーナハの初期にして、高い描写力を得ていたことが伺えます。 ・聖母子 (画像はこちらから) 「ザクセン選帝侯フリードリヒ賢明公」に同じく、1515年頃に描かれたとされる作品です。 「授乳中の母子」という母親としての最も象徴的と言える場面を描いているにも関わらず、聖母の陰鬱な表情が独特な雰囲気を醸し出します。息子キリストの殉教を予感しているのでしょうか。 一方、背景や衣服は明るく細かく描かれていて、立体的に浮かび上がってくる印象です。その明るさ・立体感が、聖母の陰鬱さをなおさら強調するかのようです。 ・天使に囲まれた聖家族(「聖母伝」を表わした祭壇画の左翼パネル) (画像はこちらから) ・聖母の教育(「聖母伝」を表わした祭壇画の右翼パネル) (画像はこちらから) デッサウのアンハルト絵画館にある、左右対の2枚です。 1510~12年頃に描かれたとされる作品です。 聖書朗読による教育、紡糸といった家事の大切さを説くように思えます。 ・クラーナハ「サムソンのタピスリーのある馬上槍試合(第2トーナメント)」 (画像はウィキペディアから) ・アルブレヒト・デューラー「騎士と死と悪魔」 (画像はウィキペディアから) クラーナハと、彼のライバルだったデューラーの作品です。 デューラーについても、こちらに3月に投稿したウィーン滞在記で多く書いています。 クラーナハとデューラーを比べた場合、これも個人的な判断ですが、デューラー「目に見えない筋肉をも浮かび上がらせるか」のような描写の細かさ、内面への入り込みの深さなどから、デューラーのほうに軍配を上げてしまいます。 クラーナハにもデューラーにはない「色の鮮やかさ」「群衆表現での人員配置の巧みさ」「裸婦の曲線美」などの良さがありますが、クラーナハにはデューラー以上に世俗的な面を感じます。 そして、競っていたからかどうかは不明ですが、五百年前(日本は室町時代)の画家にも関わらずクラーナハの作品は多く残っており、「ヨーロッパの美術館に入れば必ず1枚はある」ぐらいです。教育的には悪くないかもしれませんが、有難みには欠けてしまいます。 絵の話からずれましたが、この「世俗さ」が後述のとおり現代に関係してきます。 ・聖カタリナの殉教 (画像はこちらから) クラーナハの初期のハイライトと呼びたい大作です。 ウィキペディアによると、多くの人を殺す皇帝の残酷さを責めたカタリナは「神々に生贄を捧げよ。さもなくば斬首するぞ」と皇帝に言われるものの、「お好きになさい。すべてに耐え忍ぶ覚悟はできています」と毅然と答え、殺害されます。 その場面を描いています。 背景は、雷が壊した車輪の破片で多くの人が亡くなる場面ですが、この場面のダイナミクスさと、静かに殉死を待つカタリナの落ち着いた様子が対照的です。 絵としては、雷の描き方も秀逸です。 雷、現代でこそ写真技術の発達によって下の写真のとおりに誰もが知っていますが、そのような技術が無い頃には、その雷鳴のこのように表現していました。 (画像はウィキペディアから) ・ザクセン公女マリア (画像はこちらから) クラーナハは多くの肖像画も残しています。本展でも、肖像画で1コーナーが設けられていました。 構図も意識され完璧とも言えるこの絵、まず目を引くのは、彼女の袖の衣装です。当時のスタイルですが、なにか生き物の柄のように見えます。 この高貴で独特な衣装と相まって、きりりと腕を構え、がっしりと指を組み、画家の正面よりやや下を見る彼女の姿勢。そこには、公女という重々しさというよりも、高貴な人ならではの軽快さ、きびきびと仕事をこなす「キャリアウーマンぶり」を見て取るような思いがします。 そして、クラーナハの肖像画で見逃せないのが「背景の巧みな色使い・描き込み」です。 この絵では水色ですが、次の「夫婦の肖像(シュライニッツの夫婦?)」しかり、クラーナハはモチーフやメッセージに合わせ背景を巧みに描き分けています。 この絵の水色も、彼女の軽快さ、キャリアウーマンぶりを強調するかのようです。 もし、この絵の背景が黒なら、彼女の印象もだいぶ変わってくることでしょう。 その背景の意味を読み解くのも、クラーナハを鑑賞する醍醐味の1つだと思います。 ・夫婦の肖像(シュライニッツの夫婦?) (画像はこちらから) 展示されていた肖像画のうち最も印象に残ったのが、この絵です。 夫では、クラーナハの肖像画にしては顔の陰影が背景・服の黒と相まって深く感じられます。光を浴びる顔は、同じく光を浴びる手とあわせスポットライトのように強調され、ともに強い意志と心身の健全さ、自信といったものを感じさせます。 妻は、優雅で高貴な服をまとい、胸を張って正面を見据える表情には力強さ、左右の端が上がる口元からは他人への優しさと意思の強さ、やや複雑に組む腕からは思索の深さ、といった多くの心境が読み取れます。 今回一緒に観に行っていただいた方も、この絵が印象に残ったみたいで、素直に嬉しかったです。 鑑賞しながらいろいろ考えていても、「自分の見方は本当に正しいのだろうか? 的を外していたり、大事な部分を見落としていないだろうか?」と、気に入った絵ほど不安な気持ちに陥るものです。そんなとき、一言でも感想を伝えあえる人が隣に居ると、大きな自信を付けてくれたり、相手の反応から見方を見直すことが出来ます。 そして、1枚の絵がもたらす広い世界へと安心して入ることが出来るように思います。 そんな絵が、早速この絵の左にありました。 自分でも気づかない「心の扉」を開けてくれたような思いです。 クラーナハ、これからがクライマックスです(②へ続く)。
by zouchan6
| 2016-11-15 05:53
| 美術鑑賞 art watching
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