前回の「砂澤ビッキ記念館を訪れて①」からの続きです。 「森 午前3時の部屋」は、まさに彼の制作・生活現場だった場所です。 阿寒湖・鎌倉から札幌、音威子府へと住居を移した中期以降の、中型から小型の作品が展示されています。 中心に置かれているのが「樹華(じゅか)」(1983年)、手前のアイヌの古老が「森に聞く」(1985年)です。 前回(①)の記事に神奈川県立近代美術館葉山での砂澤ビッキ展の写真を紹介しています。 それぞれ制作年次も異なる別個の作品ですが、セットの作品に思えます。設置する記念館の上手さです。 美術鑑賞では、作品自体の良否とあわせ、作品の良さを引き出す展示方法の巧拙も見逃せません。 「樹華」は、表面を滑らかに削ったヤナギの枝を組み合わせています。 今にも落ちそうな挿し方ですが、この均等で幅広い挿し方が樹木らしい広がりを表わし「木で樹を表現する」面白い作品に仕上がっています。 その華やかな枝の広がりに「樹華」という題名はとても似つかわしいものに感じられるうえ、「木であるような、花であるような」モチーフの両義性に、彼なりのウィット、粋のようなものを感じさせます。 「彼なりのウィット、粋」といえば、彼は札幌ススキノの「いないいないばー」というバーの内装も手掛けています。 抽象的な作品に打ち込む一方、市井の中で彫刻に協力することも忘れていません。 この、ちょっと洒落を効かせた作風や題名、市井に溶け込む姿勢に、砂澤ビッキの照れ屋で腰の低い一面を感じさせます。 「腰の低さ」については、「作品をトラックで運送中、窓から投げたタバコが作品に当たって焦げた際にもビッキは『おっ、焦げてんのも悪くねーな』と笑っていた」というエピソードも残されています(リンクご参照)。凄い懐の広さです。 「ヒグマのような大きな体格・風貌で、作品や民族差別に真摯に向き合う気迫で周囲を圧倒しながら、繊細で照れくさがりで飲むと陽気になった」砂澤ビッキの人としての魅力がそこにあります。 「午前3時の玩具」(1987年) ビッキは午前3時に目覚め、その時刻から制作に打ち込んでいたようです。 午前3時とは付近を夜行列車が通る時刻だそうです。稚内行の「宗谷」が午前3時台に音威子府に着いていたようですので、ビッキが目覚めていた列車はこの「宗谷」でしょう。 ●国鉄14系寝台車 急行「宗谷」 羽根があるので鳥のような、触覚があるので虫のようですが、長い尾があるので動物のような、頭や胴体は人間のような… 長い尾のような部分は、もしかしたら尾ではなく、別の物、たとえばこの生物の鳴き声、のようなものかもしれません。 ビッキは「午前3時の玩具」と軽く称していますが、出来栄えが精巧なだけに、いろいろな思いが巡ります。 思いを巡らした結果、この作品の表現するところはそれら鳥類・昆虫・動物・人間に共通する「生物としての生そのもの」でないかと思いが至ります。 シンプルさを突き詰めたところに、砂澤ビッキの作品の深みが存しています。 「四季の面 C」(1988年) 球体のから尾のように接続された木が伸びています。 一見分かりにくい作品に見えます。 この作品はカツラの木で出来ています。 ・カツラの葉と樹皮 前の投稿で申し上げた通り、砂澤ビッキの作品は自然から大きな着想を得ています。 丸みを帯びたカツラの葉を見れば、この葉が「木の顔」、つまり「自然の顔」に見えてきませんでしょうか。 曲解に思えるかもしれませんが、砂澤ビッキの作品では自然に還元しながら見ることで視座を得られるように思えます。 ・ANIMAL目B(1963年) 阿寒に居た初期の頃の作品です。 こぶのようなオブジェは、「ANIMAL目」という題名と重ね合わせると、前の投稿で紹介した「考える人・動物の時限」にも共通する丸みを帯びています。 ・考える人・動物の時限 素材はマツです。 松はありふれた素材に思えますが、家の梁でも使われるほどに硬い素材です。 世界各地に生息していますが、丸みを帯びた花を咲かせます。 (画像はウィキペディアから) 一見理解の難しい砂澤ビッキの作品ですが、素材を理解しながら見ることでヒントが得られます。 「作品の抽象性を通して素材と対話する。作品の抽象性を通して自然を観照する」ことが、砂澤ビッキの作品の醍醐味であり、彼が鑑賞者に出す「問い」ではないでしょうか。 「森 午前3時の部屋」には、制作現場だった頃の記憶として、彼の使っていた道具がそのまま展示されています。 プロとして当然なのかもしれませんが、実に多くのノミを使っていたことに驚かれます。 「森 午前3時の部屋」の次には、記念館内として最後の部屋となる「樹 樹氣との対話」との部屋に入ります。 「樹氣」という言葉は、ビッキが亡くなる5日前に彼が発した言葉です。 元々はキッチンだったという暗い部屋の中に水が敷かれ、水面の上に「TOH」という題の作品が立っています。 カナダから帰った1984年に作られました。ビッキにしては珍しく十字を組んでいます。題名とあわせ、カナダでインスピレーションを得たのでしょうか。 もしくは、キリスト教の墓標でもある十字架になぞらえ、自らの死をも予感したのでしょうか。 いずれにしても、十字のその形は高さなどから人物のように、そして屹立する砂澤ビッキ自身のように見えてきます。 樹の表面には、カツラを粗く削ったノミの跡が見えます。ひと削りひと削り、彼がノミを入れた跡、つまり彼が生きた証です。 彼が意図していたその「粗削り」のノミの跡は、モチーフ自体のメッセージに合わせ、彼自身のメッセージに読み取れます。彼の作業風景が思い浮かぶかのようです。 樹の魂と砂澤ビッキの魂、両方の魂と対話する場所、として置かれているではと察しました。 最後に、別棟にあるD型ハウスです。 一見は物置ですが、ここはビッキの第2のアトリエで、「四つの風」に代表される大きな作品が制作されました。 こちらは、北大の研究林から借りてきたミズナラのコブです。 ミズナラからドングリが出来ます。 D型ハウスの奥に、北海道アンデパンダン美術協会の設立にも参加した衆議院議員・五十嵐広三氏の言葉が掲示されていました。 スイスの画家パウル・クレーは「芸術の本質は、見えないものを見えるようにすることだ」と語っています。 ・パウル・クレー (画像はウィキペディアから) ・パウル・クレー「2つの頭」 (画像はウィキペディアから) 樹木や生物の中に埋め込まれている魂のようなものを見えるようにしたり、鑑賞者に感じさせてくれるのが、砂澤ビッキの特徴であり、彼の才能であると言えます。 生命の避けがたい宿命を背負いつつ、さらにアイヌ民族としての血を引きながら、土産物彫刻師からの彫刻家デビューを果たし、時流や芸術界に流されず、群れないまま北の大地で彫刻と真摯に向き合い、ときに民族差別とたたかい、カナダで修行しながら、芸術表現のより高い次元へとノミの跡を刻んできた彼の生涯。 IT隆盛の、AI時代の今だからこそ、彼の民族性、芸術や差別との格闘、格闘の裏にあるユーモアやウィットや機知、素材に隠れる素材の魂を表現できる高度な抽象性が、ITやAIの対極にある「人間らしい強さ」として際立ち、今後ますます大きな意味を帯びてくるのではないでしょうか。 砂澤ビッキの静かな格闘を応援していた人は、上記の五十嵐氏だけではありません。 1987年に北海道の北見観測所で発見された小惑星は、砂澤ビッキの活躍から「ビッキ(5372 Bikki)」と命名されています(リンクご参照)。 北海道の綺麗で澄んだ空からは、夜になると満天の星が望めます。 その満天の空のなかで「ビッキ」は、小さな星ながらも明るく、北海道や世界を永遠に照らしてくれることでしょう。 ●参考文献 ・柴橋伴夫『風の王: 砂澤ビッキの世界』(2001年/響文社) ・美術館連絡協議会『日本の美術館名品展』図録(2009年/美術館連絡協議会) (注釈の無い画像は全て自ら撮影)
by zouchan6
| 2017-09-18 16:41
| 美術鑑賞 art watching
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||