その1(大徳寺聚光院を訪れて)からの続きです。
聚光院を出てからは、大徳寺の境内でふらっと寄った高桐院を拝観し、京都に住む大学の同級生と和久傳「五」で落ち合い、ランチをいただきました。 同級生との会話に時の経つの忘れるほど夢中になり、有名な和久傳の野菜そばも「上品で美味しかった」ぐらいしか覚えていませんが(舌が鈍くて・・・)、午後はその同級生にもお付き合いをいただいて細見美術館と京都国立近代美術館を周ることにしました。 細見美術館は伊藤若冲展を開催中です。その同級生からKBS京都の伊藤若冲展特番のDVDを送ってもらうことになりましたので、細見美術館の感想は次回に送り、京都国立近代美術館(常設展)の感想を述べたいと思います。 京都国立近代美術館は細見美術館に同じく岡崎地区(平安神宮の南)に位置し、府立図書館、みやこめっせ(京都市勧業館)、京都市美術館といった文教施設と並んで位置しています。 同行の同級生が「上村松園の絵が好き。」とのことで「京画壇の大巨匠の松園も、ここならあるかな・・・」と思い京都国立近代美術館に向かいました。あいにく松園はありませんでしたが、さすが京都国立近代美術館とあって、京画壇の巨匠達の作品も並んでいます。 そのうちの1人、堂本印象です。 ・江上の鵜舟(右双) (自ら撮影) 6面の屏風。薄褐色の川面の中に、1艘の鵜舟と鵜匠、6羽の鵜が描かれています。 本来なら青か黒で塗るはずの川面を薄褐色で広く塗り、その薄褐色に近いトーンで鵜舟、鵜匠、鵜を描いています。川と人間、生き物という「自然」との一体化を感じさせます。 魚を狙っている感じでもなく、鵜匠と鵜達もそれぞれ一定の距離感を保ち、ひっそりとした感じを伺わせ、絵を観る側に大きな落ち着きを与えてくれます。 その「自然との一体感」や「鵜匠と鵜達の位置関係」を的確に伝えるべく、斜め上から描く構図も巧みで見事です。この構図をとり舟を斜めに描くことで、舟の流れに沿いつつ動いている様子も伝わってきます。 日本画の繊細な伝統の中にも大胆さや巧みさを織り交ぜる堂本印象ですが、彼の巧みはこれにとどまりません。 堂本印象で特筆すべきは、「京画壇の巨匠」という立場に安住せず、生涯にわたり幅広い画風にチャレンジしている点です。 ・新聞 (自ら撮影) 右に新聞を読む女性、左に行商の女性、その奥には学生の演説?らしき場面。 行商の女性は「大原女かな?」と思いましたが、魚を売っているので大原女ではなさそうです。麦藁帽をかぶり、背景の黒からも労働に精を出している様子を感じます。 1950年に描かれた作品です。日米安保条約に批准し、戦後の新しい時代の幕開けの中で、行商という旧時代的な価値観の女性と、新聞という近代的な価値観の女性を対比させているのでしょう。画面の構成も左右で明確に分かれます。左右で色のトーンや造形性も大きく異なります。 一緒に見ていた同級生と「新聞を読んでいるのは駅の待合室かな?後ろで演説しているみたいだから大学構内かな?」「新聞を読む女性はどうして新聞でなくこちらを睨んでいるのかな?」「堂本印象といえば親戚が・・・」と美術館に来ても話が弾み話があらぬ方向に進んでしまいましたが(;^_^A 、話が広がるのも名画ならではです。 堂本印象はこれに留まりません。 ・規範への抵抗 (自ら撮影) 上の2枚の具象画とは全く異なる抽象画にもチャレンジしています。 素材も「江上の鵜舟」が絹本着色、「新聞」が紙本着色ですが、「規範への抵抗」は麻布に油絵の具と洋画に同じです(墨も加わっています)。 この絵は1960年に描かれています。その前年には安保改定阻止の国会デモも盛んに行われています。 抽象画でありながら、色彩もリズム感もなく、力の強い部分と弱い部分が並存し、不規則な線の織り成す不気味とも言える造形のイメージは、「規範への抵抗」という題に適合しています。 堂本印象の作品は、金閣寺と竜安寺のあいだに府立堂本印象美術館でも鑑賞することができます。内装外装のすべてを本人がデザインしたという、本人肝いりの美術館です。 京都国立近代美術館(常設展)の作品も、堂本印象に留まりません。 ・萬鉄五郎「風景・丁字路」 (自ら撮影) 東京の国立近代美術館の「裸体美人」でお馴染みの萬鉄五郎です。ぼやっとした光景ですが、フォービズムな色彩感覚は強く出ています。 「風景・丁字路」と言えば、時代も画風も全く異なりますが、横尾忠則さんの「Y字路」シリーズを思い出します。横尾さんは執拗なほどにY字路を描き、同じY字路を描きながらも絵ごとに画風は全く異なるのですが、心象風景として心象が明確に表現され、なおかつ横尾さんらしいポップアート的な感覚も色濃くあって、大好きなシリーズです。 萬鉄五郎から横尾忠則さんの「Y字路」シリーズに話が飛びましたが、萬鉄五郎の絵は、20世紀の日本アートの大きな道標となっています。 ・国吉康雄「鶏に餌をやる少年」 (自ら撮影) 以前ここで「横浜そごう美術館「国吉康雄展」を訪れて」で細かく紹介した国吉康雄の作品です。 1923年の作品ですので、「力強い女と子供」、横浜そごう美術館で観た「水難救助員」に同じく30代の初期の頃の作品です。 ・国吉康雄「力強い女と子供」(1922年) (画像はウィキペディアから) ・国吉康雄「水難救助員」(1924年) (画像はウィキペディアから) 画風も同じですが、「遠近を崩しきっちりと構図に収める妙」「彩りの多さと絵の具の質感(マチエール)の高さ」「人物をユーモラスにデフォルメするユニバーサル性」といった国吉の個性が、各作品に共通して伺えます。 ・石垣栄太郎「鞭うつ」 (自ら撮影) 国吉康雄に同じく、移民としてアメリカにわたり、苦労を重ねながらアメリカで画壇デビューし活躍しました。故郷の和歌山県太地町に太地町立石垣記念館があります。 国吉康雄とはアート・スチューデンツ・リーグ・オブ・ニューヨークで学んだ日本人画家同士として親交もあったようです。 (画像はウィキペディアから) 国吉と石垣で画風は異なり、主に労働者やスポーツ選手を肉感的・プロレタリアート的に描いています。 この「鞭うつ」も、人間が馬を鞭うつ場面がメインのモチーフながら、背景には煙を吐く工場、その手前には労働者らしきむれが描かれていること、全体の暗いトーンなどから、メインのモチーフは「馬車馬のように鞭打たれて働く労働者」といった暗喩なのでしょう。 メインモチーフの人間と馬と鞭の、流麗な描き方が秀逸です。この流麗さが、労働を芸術にまで高めています。 京都国立近代美術館の常設展では、他にもクリムト・ココシュ・エゴンシーレの素描・版画、写真家ユージン・スミスの「水俣」シリーズなど展示されていますが、とりわけ目を引いたのが「キュレトリアル・スタディズ11:七彩に集った作家たち」でした。 京都に有限会社七彩工芸というマネキンの会社が設立され、彫刻家の向井良吉が社長に就任しましたが、この向井の下に芸術家が集まり、芸術活動を展開しました。 その作品群です。 ・岡本太郎 (自ら撮影) ・村井次郎「マネキン FW117」 (自ら撮影) ・向井良吉「「今日の七彩’67」展 アルミマネキン」 (自ら撮影) 実物の人間とはまた違った、マネキンならではの人間表現。 マネキンからも高い芸術性を感じます。 ・七彩 二代社章 (自ら撮影) なんとこれ、社章です。美術館の解説によると「モチーフは女性モデルの身体からとった「人拓」」なのだそうです。社章がこれとは、驚きます。 驚きはこれだけではありません。美術館の1階総合受付にもマネキンが! (自ら撮影) 同級生から言われるまで、マネキンだと気付きませんでした(;^_^A 鑑賞後は1階のカフェへ。 ここのカフェ、高い天井の大きな窓から外を眺望できるほか、過去の展覧会の図録も置いてあり、自由に閲覧することが出来ます。居心地が良く長時間居たくなるようなカフェです。 このカフェで、引き続き同級生と話を続けたり、画集を鑑賞しながら歓談しました。上村松園の画集も観ましたが、その同級生の最も印象に残ったのは「わき毛と鼻の穴が強烈でしょ?これでも重要文化財ですよ」と説明した萬鉄五郎「裸体美人」だったようで(;^_^A 強烈な印象と深い感銘、カフェでの楽しい話し合い・振り返りという、「美術鑑賞の王道」とも言える過ごし方とともに、京都国立近代美術館を後にしました。 (3に続く)
by zouchan6
| 2016-08-20 06:55
| 美術鑑賞 art watching
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