ちょっとした別件でしたが、6月下旬に札幌を訪れる機会があり、いくつかの美術館を周ってきました。
北海道のアートについては2年前に「北海道アート紀行」として札幌芸術の森、モエレ沼公園、音威子府の砂澤ビッキ記念館(リンクご参照)、十勝の神田日勝記念美術館・福原記念美術館の報告を書きました。 今回は札幌しか滞在できませんでしたが、札幌芸術の森、本郷新記念札幌彫刻美術館、北海道立三岸好太郎美術館と3館を周りましたので、その報告をしたいと思います。 2年前に北海道を訪れたときは8月でしたが、今回は6月です。6月の北海道は「梅雨が無い」「暑くない」「夏休みほど混んでいない」「緑が豊か」「海産物が美味しい」ことから「北海道観光のベストシーズン」と言われており、確かに評判どおり大変過ごしやすく、快適な訪問となりました。 最初の訪問地「札幌芸術の森」においても、札幌南部に広がる森の緑が深く美しく、ベストシーズンであることを実感させてくれます。 今回は札幌しか滞在できませんでしたが、札幌芸術の森、本郷新記念札幌彫刻美術館、北海道立三岸好太郎美術館と3館を周りましたので、その報告をしたいと思います。 2年前に北海道を訪れたときは8月でしたが、今回は6月です。6月の北海道は「梅雨が無い」「暑くない」「夏休みほど混んでいない」「緑が豊か」「海産物が美味しい」ことから「北海道観光のベストシーズン」と言われており、確かに評判どおり大変過ごしやすく、快適な訪問となりました。 最初の訪問地「札幌芸術の森」においても、札幌南部に広がる森の緑が深く美しく、ベストシーズンであることを実感させてくれます。 芸術の森は再訪となりますが、今回訪れた主な目的は彫刻家・砂澤ビッキ(作品はリンクご参照)の没後30年記念展です。 砂澤ビッキについては、2年前の2017年夏に音威子府の砂澤ビッキ記念館を訪れた報告を書きました(リンクご参照)。 本展、札幌芸術の森では「砂澤ビッキ −風−」展として、市内西部の本郷新記念札幌彫刻美術館では「砂澤ビッキ −樹−」展として同時に並行開催されています。 「−風−」展では砂澤ビッキの大型彫刻を、「−樹−」展では彼の小型彫刻を中心に展示しています。両展を合わせ「砂澤ビッキの没後30年記念回顧展」という構成となりえます。 両展とも展示室内撮影不可でしたので展示を紹介することが出来ませんが、概略を話します。 「−風−」展では冒頭に、同館併設の野外美術館で展示されている「四つの風」についての報告です。 「四つの風」は、表面の樹皮を削られ中央部の面を抉られた4本の赤エゾ松が、抉られた面を外側の4方向に向けて屹立しています。1986年に制作されましたが、その後腐食・風化等による崩壊が続き、2年前に訪れた時点で1本のみ立っている状態でした。 ・2年前 ・今回 美術館の使命として一般に「作品の保護」が挙げられます。保存条件のより厳しい屋外彫刻においてもその使命は変わるものではありませんが、ビッキが設置に際し 「生きているものが衰退し、崩壊していくのは至極当然である」 「自然はここに立つ作品に風雪という名の鑿(ノミ)を加えていくはずである」 言葉を残し、設置から3年後に亡くなりました。そのため、美術館としても彼の遺志に添って修復・移転等の措置は行わず、倒れたままに設置してあります。 同展では、「四つの風」の制作から設置、崩壊、現在に至る過程、2001年に開催され同作品の在り方について議論を深めた「《四つの風》の今後を考える」と題するシンポジウム、設置カメラの画像で見た年間の様子や崩壊の様子など、「四つの風」についての細かい経緯報告が展示されていました。 シンポジウムの報告を読むと「自然の風化に委ねたいとする故人の遺志と、作品の保護という美術館の大命題の矛盾にどう向き合い、どう折り合いをつけていくか」という点に多くの関係者や市民が検討・議論・手当てを重ねた末に今の作品があること、それらの鑿の末に今の作品が出来上がっていることを実感します。 また、同展では同館の所蔵品である「風に聴く」「神の舌」「午前3時の玩具」のほか、「風の目」などの大型作品、「樹頭を持つ女」などの中型作品、展示されています。 2年ぶりに砂澤ビッキの作品とあらためて向き合い「砂澤ビッキの作品の新たな醍醐味」を2点気づきました。 1つは「彼の作品は、樹木という生命体に、全く別の生命を与える点のの面白さ」です。 彼の作品は、樹木を素材に彫られています。 例えば、今回展示されていた「神の舌」は、ナラの木から彫られています。 ところが、「神の舌」と題するこの作品に対峙したとき、観た人は「巨大な怪物のような神という生き物の舌」を想像するのでないでしょうか。 また、「午前3時の玩具」もヤナギの木を使っていますが、作品は昆虫のような形態です。蝶のような蛾のようにも見えますが、「神の舌」に同じく、モチーフの全体像は定かではありません。 ・午前3時の玩具 (エコミュージアムおさしまセンター BIKKYアトリエ3モアにて自ら撮影) 「四つの風」においても、作品のモチーフは人間のようにも樹木のようにも見えますが、定かではありません。 木彫として、素材の表面の木目や彫刻刀の跡を前面に出しつつ、その素材自体とは全く異なった生命を現出・創出させる。 そのような行為は彫刻としては決して珍奇だったり独特なものではありませんが、この「複数の生命の現出・創出」こそが砂澤ビッキの全彫刻作品に共通する点であり、彼が生涯目指したと思われる目標であり、彼の芸術の醍醐味でもあり、「複数の生命体がときに争いつつアニミムズ的な対話を重ねて共存し、その延長線上に世界・自然界があることを訴求しているのでは」と思いました。 そのような対話を鑑賞者に生ませる点が、砂澤ビッキの全彫刻作品の面白みとして存在するのではないでしょうか。 もう1つ気付いた醍醐味は「砂澤ビッキの作品には、ダンスや音楽など、他の芸術が関与する余地が残されている」点です。 実際、今回の「−樹−」展では、作品「風に聴く」を中心にした舞踏パフォーマンスも開催されているようです(リンクご参照)。 「作品は芸術として完結したもの」として、作品を中心にしたパフォーマンスは嫌われる傾向にあります。 ところが、砂澤ビッキ自身、作品を中心にした各種パフォーマンスを嫌うことなく、歓迎していた向きもあります。 図録によると、「風に聴く」は、当初は「四つの風B」と称していましたが、舞踏公演を経て「風に聴く」へと改称したようです。 「1人でも多くの人や生命が多様な形で参加することで、作品や解釈に新たな見方や幅が生まれ、そこに新しい芸術が展開される」余地を残した作品であることは、上記に触れた「複数の生命の現出・創出」に矛盾するものではありません。 むしろ、一致するところでもあります。 札幌芸術の森「砂澤ビッキ−風−」展の入り口の主催者挨拶文に「彼は日本一の彫刻家」という趣旨の言葉があったように記憶しています。 その言葉の記憶は定かではありませんが、「日本一の彫刻家」という表現はまさに同感です。 これほどの深い魂をもって作品を制作した彫刻家が、日本にいたでしょうか。また、これからも出るでしょうか。 (2へ続く)
by zouchan6
| 2019-07-19 15:33
| 旅行 travelling
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||